娘と生きる不登校な時間

娘から笑顔が消えた。いじめ、不登校、精神崩壊、転校、リストカット、性犯罪。生きる意味に疑問をもつ娘に、自信と笑顔を与えたい。二人三脚で難関大学受験に挑むシングルマザーの記録。

┝01.突然現れた選択肢 離婚と中学受験

それぞれの選択

 

9歳のミノリに与えた情報という名の選択肢

 私たち夫婦が離婚を決めたのは

ミノリが小学5年生の秋のことでした。

 

ミノリは比較的、勉強が好きな子で

プライドも高く

『勉強ができて、可愛くて、人気者』

そう自負しているようなところがありました。

 

高学年にもなると

発達障害の兄、タクとの3歳差は

殆ど感じなくなりました。

 

タクがいつまでも幼稚で不安定なぶん

同年代の子のなかでも

大人びていてしっかりもののミノリは

(時には扱いづらいところもあるけれど)

私が『人人』として関われる

一番身近な存在で

心の拠り所でもありました。

 

 そんなミノリが小学3年生のとき

私はミノリにある提案をしました。

 

将来、大学へ進学するのであれば

「中高大一貫校」を中学受験する

という選択肢もあるよ、と。

 

放任主義ではなく自由選択主義でありたい

 あ、いえ、私は決して

教育ママではありません。

 

テストが0点だろうが

宿題をしてなかろうが

本人がそれで辛くないなら構わないし

 

学歴や将来設計も

本人が納得できるものであれば

その中身や頑張り度合いは

人それぞれでいい、という考えです。

 

でも決して、完全な

放任主義

というわけではありません。

 

こうなって欲しいという

親目線での期待はしないけれど

 

子ども達自身には

自分の人生に十分期待して歩んで欲しい。

 

いつか、夢や目標ができたとき

知らなかったり

やり残してきてしまった為に

後悔したり諦めたりしなくていいように

 

可能性を広げるための

様々な知識や知恵を蓄えるためのチャンスを

押し付けではないタイミングで

与えてあげたいと

そんなふうに思っていました。 

 

 

 

大人は子どもより

確実に【経験と情報】を持っています。

 

選択するのは子ども本人だけど

その選択肢は与えてあげないと

今子どもの目に見えている

狭い範囲の現実だけが

自分が進むことができる道だと思ってしまう。

 

それって

自ずと決まった目の前の道を

選択させているのと

同じことじゃないかと思うんです。

 

いろんな世界があるよ

いろんな人がいるんだよ

こんなことが出来るんだよ

こんな道もあるんだよ

 

せめて私たち大人が

経験し知り得たことは

早いうちに教えておいてあげたい。

 

そんな気持ちから、私はミノリに

【中学受験】という選択肢を渡しました。

しても、しなくても

それはミノリの自由です。

 

 

 

11歳ミノリの選択、からの旦那の選択

 小学3年生のミノリは

大学の意味さえ知らず

キョトンとした目で

ただ聞いていただけだけど

 

小学5年生になったミノリは

 

私、中学受験する!

ここの中学へ行きたい!

将来は大学へも行きたい!

 

全てを理解し

キラキラとした目で

そう自ら選択したのでした。

 

それならば

あとは応援するだけです。

 

もともと勉強することが好きなミノリは

毎日の塾通いや模擬試験など

見ていて感心するほどに

真面目に取り組んでいました

 

 

…が、

夏期講習が終わった頃

ミノリではなく

 

旦那がギブアップしました。

 

 

ご存知のとおり

中学受験は過酷です。

本人の努力もさることながら

 

親の資金力も重要です…。

 

 

塾から届いた夏期講習の請求額を見て

ため息まじりにポツリ。

 

『なんで俺ばっかり我慢せなアカンのや。

人生リセットしたい。一人になりたい。』

 

この言葉を皮切りに

私たち夫婦は離婚することになりました。

 

 

旦那は大手企業に勤めるサラリーマン。

そこそこの年収があり

私と出会う30歳を超えるまで

自由気ままに生活をしていました。

 

それが、結婚して

 

 

生まれた子どもは「発達障害」

自分には全く懐かず可愛くない

妻は子どもにかかりきり

二人目は塾通いでお金がかかる

会社は不景気でボーナスカット

旅行も欲しいものも我慢して

それでも貯金は減る一方

家族さえいなければ・・・

 

そんな心境だったようです。

 

わかる、わからない

賛否両論あるでしょう。

 

でも私はそれを理解できたし 

 

どこか、ホッとしたのです。

 

 私と旦那は

大切にしたいものが

 

違う。

 

それが分かった時点で

私の中では答えが出ました。

 

ただ

子ども達には聞かないといけません。

 

タクとミノリの優しい言葉と母の決断

子ども達にとって

私たちの離婚がマイナスになるなら

元も子もないことになります。

 

 

 私は旦那の言葉を受け止めたその足で

子ども達のいる部屋へ行き

聞きました。

 

『この家から、家族から

 

お父さんがいなくなっても、いい?』

 

 

すぐにタクが答えました。

 

『いやそれ、何が変わる?

俺にとっては何にも変わらん。

・・・。

まぁ、男としては、

決めて結婚したんやったら

一生責任持てや!…とは思うけど。』

 

 タクの言葉に、私は

心の中ではこう答えていました。

 

(変わるよ。だってタク、

もうお父さんに遠慮して

コソコソ過ごさなくっても良くなるよ。)

 

 隣ではミノリが泣いていました。

 

そして言いました。

 

『私は受験できる?ここにも住める?

今までと生活が変わらないなら…

うん、いいよ。

ママ、ずっと我慢してたもんね。』

 

 私はミノリの最後の言葉には

首を横にふりましたが

 

二人の正面に座り直し

大きな深呼吸をひとつしてから

目力のある笑顔で、こう言いました。

 

『うん!よし!頑張る!

 

今まで出来てたことは

変わらず続けられるように頑張る。

仕事も、いっぱい頑張るし

ミノリの受験も、続けられるように

私、頑張ってみるよ。

 

私はお父さんにはなれないけど

一番近い親友にはなれるから

お母さんとして、親友として

何でも遠慮なく話し合って

楽しく生きていこう!

 

ごめんね…ありがとう!』

 

その途端涙が溢れてきたけれど

 

やっぱり私にとって

何よりも大切にしたいものは

この子達だ

とあらためて思いました。

 

 

私にとっての新たな選択肢が

その日、突然目の前に現れて

 

その結果

子ども達の目の前にも

新たな選択肢が現れ

 

私たちは

母子家庭になりました。

 

 

 

 

ミノリ11歳の秋。

 

中学受験という目標を持った途端

起こった大きな事件だったと思います。

 

 

ただ、その後もミノリの表情は

変わりませんでした。

 

毎朝、眠そうな顔をしながらも

休まず学校へいき

午後、元気な足取りで帰ってくる。

 

夕方には笑顔で塾へ行き

テンション高めの満ち足りた表情で

帰ってくる。 

 

モリモリと夕食を食べながら

今日あった事をたくさん話してくれ

 

ぐっすりと眠る。

 

いつもどおりのミノリ

 

 

 …に、見えていたのですが

 

私はこの時にも

ミノリを

きちんと見てあげられていませんでした。

 

小学6年生の夏

ミノリに起こっていた過酷な日々を

 

私は全然

気付いてあげられませんでした。

 

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ここからの事は

次回に詳しく書きたいと思います。

 

最後まで読んでくださった方

ありがとうございました。