娘と生きる不登校な時間

娘から笑顔が消えた。いじめ、不登校、精神崩壊、転校、リストカット、性犯罪。生きる意味に疑問をもつ娘に、自信と笑顔を与えたい。二人三脚で難関大学受験に挑むシングルマザーの記録。

┝07.中学入学/母の発病 残った傷と変化のはじまり

小学校卒業、待望の中学・・・のはずが

 変われるチャンス

無事に中学受験を終えたミノリは

次の日から

また学校へ登校し始めました。

 

【学級崩壊】

変わらず続いていましたが

 受験に合格したことで

 

中学からはもう今の学校の生徒とは

会わなくても良くなる

 

という安心感はミノリにとって 

相当大きな心の支えとなっていたようです。

 

どんなかたちであれ

 

変わることができる

 

ということを

想像できるようなチャンスをあげることは

今つらい思いをしている子ども達に

まず必要なことだと思います。

   

ミノリにとっては、その点において

この状況下に中学受験という道があったこと

そして合格できたことは

変われるチャンスを手にしたことと同じで

 

正直、私も

本当に救われた気持ちでした。

 

卒業式とその現実

2月下旬

学校では連日のように

卒業式の練習が始まりました。

 

学年全体での合同練習が主でしたが

順調に練習が進む他のクラスとは違い

6年3組の生徒の一部は

いまだ反抗的な態度を変えることはなく

決められた歩き方や立ち振る舞いを無視し

叱られると暴言を吐き、暴れ

勝手に退室するような生徒もいたようです。

 

合同練習のため、一部の生徒のために

練習を中断させるわけにはいかず

6年3組に限っては

真面目に出来る生徒だけが参加するような

イレギュラーなかたちで進んでいきました。

 

結果、主犯格の男の子については

卒業式まで一切

真面目に取り組むことはなかったそうです。

 

そんな状況は

保護者間でもすぐに噂となり

大切な卒業式を台無しにして欲しくない

参加させなければいいのに

というような声まで上がっていました。

 

卒業式当日。

 

私は保護者席の後ろの方に

ひとりで着席しました。

 

3年前、兄のタクの時に

同じ卒業式を経験しましたが

その時の温かい空気感とは

全く雰囲気が違っていて

保護者の表情は皆固く

 

何事もなく

無事に卒業式を終えられたらいいけれど

 

というようなヒソヒソ話が

耳に入ってきます。

 

卒業生入場。

子ども達は皆フォーマル姿に着飾って

6年生らしいしっかりした面持ちで

一人ずつ一礼してから入場してきました。

 

ミノリは黒のスカートスーツを着て

胸にはお花のコサージュを付け

笑顔こそないものの

しっかりと前を見て堂々と歩いていました。

 

ミノリの顔を見つけた瞬間

私は胸がギュッと熱くなり

まだ始まったばかりなのに

目に涙が溢れそうになりました。

 

どの親御さんも同じでしょう。

6年間というのはとても長い時間です。

まだ何にもできない幼い時期に入学し

こんなにしっかりとした表情で

節目を迎えている我が子の姿。

 嬉しく頼もしいその姿を

それぞれの思いで見つめる時間でした。

 

ハッと気が付けば

卒業生全員の着席が終わり

その列に乱れや混乱はありませんでした。

6年3組の席も埋まっていて

欠席している生徒が

いるようにも見えません。 

 

式はその後もスムーズに進み

一人一人名前を呼ばれる

卒業証書授与の際にも全く混乱はなく

 

練習していなかったはずの生徒たちも

さすがに本番にふざけることはせず

前の生徒の真似をしていたのか

拍子抜けするほど滞りなく終了しました。

 

ただ

主犯格の男の子の名前が呼ばれた瞬間と

卒業式が無事に閉式した瞬間に

保護者席が少しザワついた空気になった事を

私はしっかりと感じていました。

 

結局、何も起こらなかったことに

ホッとはしましたが

その反面・・・

 

こんなふうに

最後まで強がり通すことすらできないような

たかが幼い子どもの反抗的な態度ですら

阻止することも

被害者を守ることもできなかった

いや、しなかった学校側の対応には

呆れ果てた思いでした。

 

最後に担任の先生が

6年3組の生徒と保護者の前に立ち

 

何もできず

本当に申し訳ありませんでした。

そう言って泣き崩れました。

 

その姿を見た子どもたちの誰ひとりとして

先生と記念写真を撮ろうとする子は

いませんでした。

 

これが現実だと思いました。

 

ドラマのように

卒業式には先生と生徒の絆が復活するとか

いい思い出に変わるとか

 

そんな事はありません。

 

ミノリはその後

小学校に近づくことも

友達に会うこともありませんでした。

 

その数年後の成人式ですら

行くわけない

地元に会いたい友達なんかいない

と言いました。

 

傷ついた心はずっととして残るし

守ってくれなかった先生は

大人になっても信じられないし

いじめた友達には

一生会いたくないんです。

 

これが認めてあげるべき現実だと

私は思います。

 

ミノリの春と母の闘い

桜が舞う4月

ミノリは中学生になりました。

 

頑張って勝ち取った

憧れの私立中学への入学許可証。

 

ミノリが志望したのは

中高大一貫の進学校のため

学力はもちろん必要ですが

いわゆる高校受験も大学受験もありません。

 

しかも附属の大学は

難関私立大学と呼ばれるうちの一校で

このまま進学できれば申し分ありません。

 

時間的な余裕ができるぶん

やりたい事を見つけて

どんな事でも思う存分

チャレンジしていけたらいいね

 

なんて、入学が決まってからは

ミノリと一緒にワクワクしながら

よく話していました。

 

自宅から学校までは

電車で1時間かかりますが

その距離も

地元の友達と離れるには好都合でした。

 

思い描いていたとおりの

可愛い制服を着て

思い描いていたとおりの中学校へ。

 

受験して入学する私立中学は

みんな入学式が初対面。

もともとのグループがあるわけではなく

過去の事も言わなければ分かりません。

 

環境を変え

自分も変われるチャンスです。

 

ミノリがどんな思いで

毎日学校に行っているか

どんな風に過ごしているのか

どんな友達がいて

どんな事が起きているのか

 

親として気になるのは勿論ですが

中学生になったミノリは

帰宅してからもスマホを放さず

用事がある時以外は

自分の部屋で過ごすことも増え

思春期を迎えたこともあって

 

小学生の頃ほど

会話をする時間を持てなくなりました。

 

それでも

時折話してくれる学校での出来事や

部屋から聞こえてくる楽しげな

通話の声を聞くと

 

あぁ、楽しそうだな

この学校に行かせてよかったな

 

と、疑う事なくそう思っていました。

 

 

そんな安心感を傍らに

シングルマザーの私は

とにかく私立の莫大な学費の支払いに向け

仕事と支払いに埋もれる日々でした。

 

受験料に続き

入学金・学費・制服代・教科書代

定期代など…

万単位で日々お金が消えていきます。

 

同時期、タクも私立高校へ

通うことになってしまったため

私は寝る時間以外は1秒でも働く

という生活になりました。 

 

それでもシングルマザーの私が

もしこれを放棄したら

せっかく前向きに笑顔で生きている

ミノリやタクの今の生活を奪うことになる

と思い

 

私の24時間365日の

一分一秒すべてを

子ども達のために使おうと心に決め

仕事とお金と体力

闘う日々が始まりました。

 

強がる笑顔がもたらしたもの

私は基本

疲れた、しんどい、つらいなど

マイナスの言葉を口にしません。

それは、今に始まったことではなく

生まれもっての性格がそうで

 

変えられない過去を振り返って悔む

ことが、何よりも嫌いです。

 

だから

シングルマザーになったことはもちろん

結婚したことも後悔していないし

 

二人も子どもを授かって

いい時期に離婚することができて

現状、笑顔で暮らせていることに

感謝すらしています。

(他人から見ると

悩みが全くなく毎日が楽しくて仕方ない

お気楽な主婦に見えるようです。)

 

そんな私なので

実際には火の車な状態の家計状況を

口や態度に出すことはなく

子ども達には絶対に悟られないように

常に余裕な表情で過ごし

 

高熱があっても笑顔

限界ギリギリの状態でも笑顔

 

そんな風に過ごしていました。

 

もちろん一人のときは

どうしようーーー

と頭を抱えて机に突っ伏す時もあります。

 

それでも子どもの前では笑顔です。

 

が、それは決してすごいことではなく

偉いことでもありません。

 

私にとってはそれが

困難を乗り越えられるまで

自分を保つための方法

精一杯の強がりなんです。

 

 

でも

見た目は強がることができても

 

後回しにしている支払いの

督促期限が目前だったり

仕事で嫌なことが重なった時には

涙も出ずに心臓だけがドキドキして

 

それでも笑顔

を続けていたら・・・

 

ミノリが入学して

まだ半年ほどしか経っていない時に

 

私はストレス発症と言われている

難病サルコイドーシス

再発させてしまいました。

 

もともとの発症は

タクが生まれたその年でした。

 

子どもが好きではない旦那は

子育てには全く参加しなかったため

私は産後の疲れと

旦那への感情が重なり

おそらくそれが多大なストレスとなり

 

ある日突然、目に激痛が走り

同時に視野が半分見えなくなりました。

 

サルコイドーシスという病気は

体のあらゆる臓器に

良性の腫瘍ができてしまう病気で

私の場合はそれが

目の網膜にできてしまいました。

 

治療薬は現在もまだないため

難病指定されていますが

ステロイド薬などによって

腫瘍の活性を抑えられれば

また普段の生活を取り戻すことも可能です。

 

私も長年のステロイド治療により

ミノリが中学生になるまでは

もうその病気のことを忘れるほどに

回復していたのですが

 

強がりの笑顔を続けていた日

私の目はまた

見えなくなってきてしまいました。

 

診断はやはり

サルコイドーシスの再発。

そして左目に出現した失明の可能性でした。

 

治療は前回同様に

ステロイド投薬になりますが

それだけでは不完全なため

医師には手術を勧められました。

 

でも私は仕事をする手を

休めるわけにはいきません。

入院なんてできるはずもなく

手術のお金も支払えません。

 

選択の余地はなく

私はステロイド投薬と

通院で可能な治療のみをし

手術は後回しにすることに決めました。

 

もちろん

それを子ども達には話しません。

心配をかけては元も子もありません

この日からも変わらず

強がりの笑顔を続けながら

仕事やお金や体力と

闘っていくしかありませんでした。

 

まさか中学生になったばかりのミノリが

後に大学生になるまでの5年以上も

強がることになろうとは

さすがに思っていませんでしたが。

 

ミノリの変化

ミノリの中学には学食がありましたが

同じクラスの女の子は

お弁当を持って来ている子が多いという事で

みんなと一緒に食べられるように

ミノリもお弁当を持って行っていました。

 

そのお弁当を

みんなと食べていないと知ったのは

2学期末の三者面談で

担任の先生がミノリにした質問からでした。

 

(先生)

最近、昼ご飯の時どこ行ってる?

 

担任の先生は40代ベテランの男性で

とても温かく頼りがいがあって

まるで父親のようにミノリに接して下さり

私もミノリも

すごく信頼している先生でした。

 

そんな先生はやっぱりよく見ていて

休み時間に誰とどんな風に過ごしているか

生徒一人一人を

しっかり観察しているようでした。

 

先生の質問に

ちょっと気まずい雰囲気を出しながら

ミノリは答えました。

 

(ミノリ)

便所飯(べんじょめし)・・・。

 

 

え?何それ?

便所飯って何?

 

私は思わず聞きましたが

先生は理解しているようでした。

 

(ミノリ)

トイレでお弁当食べること。

 

え?トイレでお弁当??

なんで?え?ひとりで?

なんで?そんなん、汚いやん。

 

汚いとか、それ以前に

そうなる意味が知りたいのに

私は半分パニックでした。

 

(ミノリ)

・・・落ち着くねん。

 

トイレが???

 

全然意味が分からない私とは逆に

先生は落ち着いていて

 

(先生)

でも教室にいる時は仲良くやってるやん?

〇〇とか〇〇と一緒に

楽しそうにしてるのよく見かけるけど?

 

(ミノリ)

うん。

でもなんかしんどいねん。

一人になりたい時がある。

 

そこからミノリは

最近のざわついた自分の心の思いや

処理できない気持ちの揺れを

ひとつひとつ自分でも確かめるように

話し始めました。

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ここからの事は

次回に詳しく書きたいと思います。

 

最後まで読んでくださった方

ありがとうございました