娘と生きる不登校な時間

娘から笑顔が消えた。いじめ、不登校、精神崩壊、転校、リストカット、性犯罪。生きる意味に疑問をもつ娘に、自信と笑顔を与えたい。二人三脚で難関大学受験に挑むシングルマザーの記録。

┝10.親の体裁と判断の壁 信頼できる教師・医師との出会い

不登校の自覚と学校や病院との関係 

 

見失った生きる術

中学1年生、3学期。

 

『やった!合格した!

この学校なら毎日きっと楽しいよ!

いろいろな事に挑戦しようね!

楽しみだね!』

必死な思いで合格を勝ち取った私立中学。

 目をキラキラ輝かせて迎えた

あの入学式の日から

 

まだ一年も経っていません・・・。

 

振り返れば一年前は

まだあの学級崩壊の真っ只中で

 

そこからミノリが学んだことは

正しい行いや、正義感ではなく

 

巻き込まれないための

嘘の自分の作り方

でした。

 

そして今は

そんな嘘の自分でいる事にも疲れ果て

本当の自分にも戻れずに

 

生きる術

見失ってしまったかのようでした。

 

3学期、始業式の日に

学校を欠席してしまってからの数日間

 

私は毎朝

布団を頭からかぶり動かないミノリに

 

起きてる?

遅刻するよ?

熱でもあるの?

昨日の夜は元気そうだったのに…

 

そうため息まじりに何度も声をかけ

起こすものの、結局起きては来ず

仕方なく「欠席します」と

(体調不良というていで)

学校に連絡を入れるという事を

繰り返していました。

 

その時はまだ

 今日ゆっくりしたらまた

明日は元気を取り戻すだろう

ぐらいに、軽く思っていたのです。

 

でも、そう考えることは

当事者ではない周りの人がよくやる

 

勘違い。

 

今日ゆっくりしたところで

明日もつらさは変わらない

 

本当はそこに向き合わなければ

いけなかったのに

 

・・・と、今でこそ思えます。

 

いや、だけど

その時期それを知っていたとしても

無理をさせることにも

させないことにも

正解は見出せないはずで

 

それはきっと

誰もが一番最初に打ち当たる

判断の壁かもしれません。

 

どうすることが正しいのか。

 

その壁を越えるための正解

きっとなくて

越える以外の方法で先に進む

その方法を考える事こそ

正解なのかもしれないなと

そう思います。

 

子どもにとっての一生は『今』

それまでは

まさか我が子にそんな時がくるとは

全くもって思っていなかった私が

数日続く朝の状況に

これは、もしかしたらこのまま

【不登校】

というものになってしまうのでは・・・

と、考え始めた頃のある夜に

 

ミノリが私に言いました。

 

明日の朝、もし私が起きなかったら

どんな事しても絶対に起こして!

 

さすがにこれ以上休むのは

自分でも不安になったのか?

絶対に行かなければならない

友達との約束でもあるのか?

 

その理由はあえて聞かなかったけれど

自ら頑張ろうとしている事に

今日まで待った甲斐があったかも

なんて

自分の対応は間違えていなかったと

 

正当化し、少しホッとしていました。

 

翌朝。

 

いつもどおり声をかけ起こすと

モゾモゾとゆっくり布団から出てきたミノリ。

顔色は悪く、ブスっとした表情。

でもそれは低血圧で思春期のミノリには

よくある状況だったし

何よりも起き上がったことに安心した私は

制服を手渡し、朝食の準備を始めました。

 

ところが、その後

なかなか部屋から出てきません。

 

再び様子を見に行くと

ミノリは制服に着替えたものの

ベッドの上の壁際にペタンと座り

背中を丸め頭を90度うなだれて

ボーっとしたまま動きません。

 

その姿を見た時

私はようやくミノリの状態を

把握できました。

 

とてもじゃないけれど

学校へ行ける状態ではない!

 

ミノリの額に手を当て

冷たく青ざめた顔を覗き込みながら

 

微熱がありそうやわ。

学校には連絡しておくから

今日はこのまま寝とき?

 

私がそう言うと

着替えた制服を脱ぐ気力すら

もう残っていない様子のミノリは

そのままずるずると布団の中に潜り込み

 

 

昨晩一睡もできなかったと分かるほどに

一瞬で深い眠りにつきました。

 

 

起きなきゃ、と体を起こすこと。

行かなきゃ、と決めて着替えること。

学校へ行くために顔を洗い、歯を磨き

朝ごはんを食べ、鞄を持ち

靴を履き、玄関のドアを開ける。

 

そんなごく普通の行動の

そのひとつひとつに

「学校に行った後」

の光景がついてまわり

 

それは

精一杯奮い立たせた

気持ちの勢いで以てしても

突破できない大きな不安の壁となり

ミノリの前にドッシリと

立ちはだかっているのでした。

 

 

長い一生。

急がずゆっくりと考えていけばいい

と言う話をよく聞きます。

 

でも私はその朝のミノリを見た時

一瞬でも早く

苦しみから救ってあげなければ!

と思いました。

 

たぶん子どもに「一生の長さ」なんて

語っても想像がつかないだろうし

「今が一生」

という感覚ではないかと思うのです。

 

 

 不登校を認め、その先を目指す

私はその日の仕事を休み

ミノリが目を覚ますのを待ちました。

 

お昼過ぎ

くしゃくしゃになった制服姿のまま

まだ眠そうな顔をして

ミノリは起きてきました。

 

(私)

おなかすいたやろ?

おうどん食べる?

 

(ミノリ)

食べる!

 

ホッとしたような表情で

テーブルの前に座ったミノリは

ハァ~と大きく息を吐き

やってしまったというかのように

頭をワシャワシャとつかみました。

 

(私)

ミノリは正直、どうしたいと思ってる?

いいか悪いかは抜きにして

もしも「思ったままにできる」としたら。

 

(ミノリ)

学校は…行かなあかんとは思ってる…

けど…行かなくていいなら

行きたく…ない。

今行ったら、絶対みんな寄ってきて

「どうしたん?」とか「大丈夫?」とか

あれこれ言われるやろ?

そしたら笑って返さなあかん。

そういうの…もう…しんどいねん。

もう…誰にも会いたくない。

でも勉強はしないとダメやと思う。

だから焦る。

このまま何もしないのは

やっぱり不安やし…。

 

(私)

そっか。なるほどな。

 

そう相槌を打ちながら

実は私の脳裏にずっと存在し

決断を鈍らせている事について

考えていました。

 

それは

必死の思いで合格した大学附属校を

一年も経たずして辞めるという選択は

もったいなくて

正直、したくないなという思い。

 

高い入学金や諸費用も支払った後だし

応援してくれた祖父母にも申し訳がない。

離婚の引き金にもなった私立受験を

結果論で否定されるのも嫌だったし

近所の目線においても

私自身の体裁が悪かったのです。

 

でも

大きな不安と焦りにもがき苦しんでいる

ミノリを救うためには

まずそんな自分自身を守りたいズルさ

捨てなければ始まらない。

 

お金や他人の評価なんて

気にしていられない。

 

もう「死にたい」なんて言わせたくない。

ミノリには笑顔で

生きていてほしい!

 

そう思えた瞬間

吹っ切れた私はミノリにこう提案しました。

 

(私)

ミノリ、中学は義務教育やから

絶対に卒業はしないと駄目やねん。

けどな、それは今の中学じゃないと

駄目ってわけではなくて

世の中に中学校は山ほどあるから

いつでも変更できるねん。

いつでもやり直せるねんで。

道はひとつじゃないからな

その都度、自分に合った道を選んでいけば

それでいいねん。

だからまずは

「今の中学に行かないとダメ

っていう縛りを解除して考えてみよか?

 

そして私はまず基本的な

日本の学校教育のシステムについて

ミノリに詳しく説明しました。

 

・転校したら地元の公立中学に行くのが普通。

・それを避けるとしたら引っ越すか

 今の学校に中学卒業まで在籍し続けて

 高校は別の学校を受験する事にする。

 

それを理解できたうえで 

ミノリが高校や大学への進学について

現状どうしたいと思うかを聞きました。

叶う・叶わないは関係なく

こうなればいいなという願望です。

 

この願望が大切でした。

先が見えず辛く苦しい思いをしているなかで

たとえあり得ないような内容であっても

願望を持ち、そこに一歩でも向かうことは

後の生きる力に繋がりました。

 

(ミノリ)

大学は、行ってみたいなと思ってる。

できれば大きな学校で

いろんな研究や勉強もしてみたい。

 

※大学ってこんなところ。高校ってこんな場所。というような話は日々の会話の中で重くならない程度に楽しく盛り込んでおくことが大事かなと思います。将来を想像できる素材は与えてあげなければ夢を持つことすらできないですものね。

 

大学に進みたい。

 

目標がひとつ、明確になりました。

ここからはその目標から逆算しながら

ノートに書きながら(←恒例の)

一緒に考えていきました。

 

(私)

大学に進むなら

「高校」を卒業することが必須

でも高校にも種類はたくさんあるから

今の学校でなくてもいいんだけど

高校によって『大学進学率』が違うから…

できれば進学に前向きな高校に行く方が

いいかと思う。

例えば地元の公立中学から

地元の進学校に入学しようと思うと…

うーん…また頑張って受験勉強しないと

正直難しいかもしれないけどね。

高校受験って授業の出席率や

提出物の評価なんかも重要で

もし今みたいに欠席が続いたりしたら

評価に響く場合もあるから…。

  

ミノリが理解しきちんと考えられるように

まるで進路指導の先生かのように

分かりやすく詳しく説明していきました。

 

決して親の考えを伝えるのではなく

客観的視点

一緒に楽しんで考える事がポイントです。

 分からない事や意に添わない説明は

子どもにとっては

ただの説教になってしまうし

反感をかうだけなので。

 

その時の私は、たまたま

兄(タク)の高校受験を終えた年で

情報が頭に残っていたので助かりましたが

知らない事は先回りして勉強しておく事で

グダグダにならずに済みます(笑)

 

そうして

考えられるありとあらゆる

私とミノリは話合いましたが

結局、行きついたのは

 

せっかく受験もなく

大学まで進学できる中学に

在籍しているのだから

なんとか今の学校に

しがみついていることが

得策なのではないか?

 

ということでした。

 

 回り回って元に戻っている?!

というか、それが出来たら

もともと悩む必要がないのでは?

 

 

と思ってしまいそうですが

さっきまでと大きく違うのは

 

言い聞かせたわけでも

そうなるように誘導したわけでもなく

ミノリ自身が理解し考えて出した答え

だという事。

 そのプロセス

とても重要じゃないかと思います。

 

【話し合うタイミング作り】

【与えられる情報量】、そして

【子ども自らの選択に全力で乗る覚悟】

 

私にできることは

親がしてあげられることは

まずはそこなのではないかなと思いました。

 

学校との連携、そして一時休憩

翌日、私は担任の先生に面談を申し入れ

その日の放課後に

時間をとっていただきました。

 

学校には面談室という専用の部屋があり

そこでゆっくりと話をすることができました。

 

今日までのミノリの状況を伝え

そして無理に学校に行かせる事はしたくない

という私の思いも伝えました。

 

その上で、万が一この先欠席が続いたとして

進級や卒業についての条件などを

あらかじめ聞いておきたいと

お願いしました。

 

先生は最初

まだそこまで考えるのは早いのでは  

とおっしゃいましたが

 

この先、必要になるかもしれない情報を

嘘やごまかしなく正しく伝え

今後、ミノリ自身が納得しながら

道を選択していけるようにしていきたい

 

そう伝えると、先生は快く

ミノリの二学期までの成績をふまえ

その先の最悪の状況下での現実を

細かく数字まで出し

説明して下さいました。

 

義務教育とはいえ

中学にも必須単位はあります。

日々の授業への出席はもちろん

テスト結果も重要な単位数となるため

やはりずっと学校へ行かないまま…

と言うわけにはいきません。

 

ただし、個別の対応はお願いできたので

提出物や課題などは自宅で作成したり

テストについても別室対応を

可能にしていただけました。

 

そして私自身の些細な悩みのひとつだった

毎朝学校に「今日も休みます」と

電話をすることが

精神的に苦痛だと相談したところ

 

(先生)

では逆に、学校に来れる時にだけ

連絡をしてください。

学校に来る途中に何かが起きたらと

きっとご心配でしょうから

ご自宅を出た事をご連絡いただければ

学校に到着した時点で

また折り返しご連絡させていただきます。

 

と言って下さいました。

 

面談は気がつけば3時間が経過しており

校内はもう真っ暗で

誰もいない状況になっていました。

 

私は些細なことまで相談しながら

こんな事にはなってしまったけれど

この学校の生徒で良かったな

と感じていました。

 

一人の生徒に

ここまでしっかり対応していただける事は

公立中学に通っていた兄、タクの時には

叶わなかった事でした。

 

生徒も教師も、その教育方針にも

型にはめない自由さがある学校

だったからこその

神対応だったのではと思います。

 

 

(この担任の先生は

この後何年もずっとミノリを支え

見守り続けて下さいました。

この先生の存在なくしては

乗り越えられなかった様々な出来事が

この先もたくさん起こります。)

 

自宅に戻った私は

その日先生と話したことを

厳しい事も含めすべて

ミノリに話しました。

 

そして

行くしかない

やるしかない

そんな前提を

 

行かなくてもいい

やらなくてもいい

に一度変えて

 

行ける時は行ってみればいいし

 

例えずっと行けなくても

それならその道の候補

また新たに切り開けばいいんだからと

そう伝えました。

 

親がそんなことを言うと

すっかり甘えて

ますます学校から遠ざかり

毎日怠けて過ごすんじゃないかと

不安になりそうですが

 

でもそこに甘えて怠けるだけの子なら

もともと学校に行けない事に

不安も辛さも感じるはずがない。

その不安は、その辛さは

生きたい気持ちの裏返しだと

私はそう思うことにしました。

 

だからもミノリも私も、ちょっと休憩。

 

もう毎朝行くの?行かないの?

と顔色を伺い

何度も聞く事はしなくていいし

私に限っては

学校への欠席連絡すら免除してもらって

正直かなり楽にはなりました。

 

 

ある医師との出会い

毎朝、私はいつもの時間に

ミノリに声をかけます。

 

起きれそう?

 

目をつぶったまま、首を横に振るミノリ。

 

はい、おやすみ。

 

もうそれ以上、声はかけません。

 

 

お腹がすいたら顔を出し

眠りたいだけ眠り

ゲームやスマホは使い放題。

 

そんな日々を繰り返し 

気が付けば結局3学期中

ミノリは一度も登校することなく

中学1年生を終えてしまいました。

 

2年生に進級しても

心新たに始業式の日を迎えるでもなく

相変わらず登校できないミノリに

やや不安が出てきた頃

 

 

 

 

私はミノリとの会話の中で

 

病院に行くことは考えてない?

 

と聞いてみました。

 

・・・行ってみたい。

薬で治るなら、治したい。

 

予想外のミノリの答えに驚いたものの

そうなれば一刻も早く

連れて行ってあげたくなり

私は通える範囲の精神科や心療内科を

片っ端から調べました。

 

でも

人気の病院はすでに予約がいっぱいで

かなり先の診察しか予約できないため

とりあえず自宅から15分ほどの場所にある

小さな心療内科に行ってみる事にしました。

 

兄のタクが発達障害のため

様々な病院にかかってきた経緯もあり

担当医師の表情や院内の雰囲気などから

病院との相性を見出だす事が

割と得意になった私ですが

 

この病院とミノリの相性は

 

合わない

 

でした。・・・というか

不登校の子どもに対する接し方や処方が

得意ではないのかもしれません。

(大人の患者さんには人気のようでしたし)

 

子どもの真意を聞き出すことも

正直、下手で

ミノリは途中から話すことを

やめてしまいました。

 

重い腰を上げ

藁にもすがる思いで行ったミノリは

思っていたのと違う感覚に

 

やっぱり病院はもういいや

 

と言いました。

 

(医師)

これでしっかり眠れて

翌朝学校へ行けるかもね。

 

と言われ処方された睡眠薬

飲んだ瞬間

立てないほどのフラつきと悪心で

翌朝は、起きるどころか

爆睡していました。

 

このことをきっかけに

私の頭に浮かんだ

あるお医者さまがいました。

 

兄のタクの主治医です。

某大学病院内にて週に1回

予約制の発達障害外来を担当している

大人気の医師なのですが

 

ミノリは発達障害ではないから

ここは違うだろうと除外していました。

 

でも、タクの時に得た信頼感は絶大で

この先生以上に信頼できる医師には

未だに出会った事がありません。

 

私はミノリにその医師の話をし

嫌ならもう二度と行かなくていいから

一度だけ、会いに行ってみないかと

話しました。

 

ミノリは頷きました。

ミノリだってこのままなのは

不安だったのでしょう。

 

そうなれば、また私の出番です。

大人気のその医師の予約は

まず掛かり付け医からの

直接の紹介予約が必須なのです。

 

私は、信頼ができる

掛かり付けの内科医に状況を説明し

 

予約を取っていただきました。

 

取れた予約は案の定、半年後

それでも、何もせずに過ごすより

半年後に話を聞いてもらえる

約束があることが

心の支えになりました。

 

その頃ミノリは

 

思い切って登校しても

長時間教室の中にいると

涙が自然に溢れてきたり

 

帰宅し

手を洗うために入った洗面所で力尽き

洗濯機の前で

朝まで眠らせることになったり

 

学校へ行こうとすればするほど

情緒不安定になっていくようで

私にとってはもう

自宅にいてくれた方が

安心するような状況になっていました。

 

月日は流れ、2学期の終わり

やっとその約日がやってきました。

 

私はミノリと予定どおり

某大学病院へ向かいました。

発達障害外来の待合室には

たくさんの親子がいて

2歳前後から大学生くらいまで

年齢はバラバラです。

 

ミノリの予約時間は午後3時

でも

一人一人に時間をかける先生のため

3〜4時間は待つことは

タクの時の経験から分かっていました。

 

初めて来た時は驚きましたが

一度受診すれば皆一様に

自分の番が来るまで

何時間でも待てるようになります。

そのくらい不公平感なく

それぞれに向き合ってくれる先生です。

 

ミノリが呼ばれたのは

結局、午後7時過ぎ

少し待ち疲れ気味のミノリでしたが

それでも不満を言わず待っていたのは

救いを求める気持ちの大きさだと

そう感じました。

 

小さくノックをし

扉を開けました。

 

(医師)

ど~もお待たせしました〜

 

と、こちら向きに

優しく微笑む先生が座っていました。

 

吸い込まれるように

椅子に座ったミノリは

 

一瞬キョロキョロと周りを見回し

椅子の横に置いてあった

【アザラシ】のぬいぐるみを手に取り

ギュッと抱きしめました。

 

(医師)

それ、動きますよ~。

 

と、おしりのスイッチを入れてくれ

そのアザラシが

ミノリの方をキュッと見つめた時

 

ミノリからフフッと笑みがこぼれ

そこからはもう

まるで友達と雑談をするかのように

楽しげに先生と談笑をし始めました。

 

本題はいつ?

と思い横で見ていた私でしたが

 

ミノリの精神論的な質問や疑問に

先生は全力で議論してくれ

納得したり、納得させたり

そんな掛け合いの中で

どんどんミノリの表情が

明るくなっていくのがわかり

 

ま、いっか

と思えてきました。

 

気付けば1時間半が経過していて

次の人に申し訳なくなった私が

ストップをかけましたが

そこまでずっと

話題が尽きませんでした。

 

その日先生からもらったお薬は

頓服として出された

『どうしてもここだけは頑張りたい!』

と思う時に飲めば

不安な気持ちが少し落ち着くという

一種類だけ。

 

あとは

無理してやろうとしない事

それだけでした。

 

診察室を出ると

次の人と目が合いました。

私が申し訳なさそうに会釈すると

いえいえというように

微笑んでくれました。

みんな同じ気持ちなんだと

心が温かくなりました。

 

そしてミノリは

帰りの車の中でも

ずっとハイテンションで

話し続けていました。

よほど楽しかったのでしょう。

 

だからって不登校が終わるわけでは

ありません。

それでもその時期のミノリの

そんな笑顔はとても嬉しくて

連れて行ってよかったなと

心から思いました。

 

その後、ミノリは

頓服薬を筆箱に潜ませ

週に1、2回

別室登校を試みることが

できるようになりました。

 

※この先生の診察はいまだに1年に1回、続けて受診しています。 

 

 

そして間もなく中学2年生が終わります。

高校進学を目前に

いよいよ余裕がなくなってきました。

 

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ここからの事は

次回に詳しく書きたいと思います。

 

最後まで読んでくださった方

ありがとうございました。

┝09.不登校の始まり 死にたいと初めて言った日

 

  • 進めなくなった終業式の日の一歩
  • ミノリに会いたい
  • ミノリがダメなわけじゃない
  • 夏休み明けの現実

 

進めなくなった終業式の日の一歩

中学1年生2学期最後の登校日。

 

前日に発覚したミノリの

【便所飯】行動について

 

学校で頑張りすぎて疲れた日には

帰宅後、一緒に

カラオケに行って発散しよう!

 (それで少し心が楽になってくれたら…)

 

なんて

 

今思えば薄っぺらな対策を考えて

お弁当がいらない翌日の終業式の日には

そんな対策も不用だろうと

 

私はたかをくくっていました。

 

でも・・・

朝いつもどおり登校したはずのミノリは

教室には入れず

 

トイレに閉じこもり

そのトイレの中から

私にLINEをしてきました。

 

 

たった一言

 

『無理』

 

と・・・。

 

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┝08.気付けなかった便所飯 味方であるために捨てる大人の正論

 

三者面談で発覚した便所飯

  • ミノリが演じる嘘のミノリ
  • 13歳の正解に寄り添う
  • トラウマ克服作戦

 

ミノリが演じる嘘のミノリ

中学からの新しいスタート。

小学校時代の嫌な思い出なんて全て忘れて

もう誰に遠慮することもなく

自信を持ってミノリらしく

元気に楽しく過ごしていければいい!

 

それが叶う場所なはずで

そうやって過ごせているのだろうと

私は全く疑いもしていなかったので

 

便所飯(べんじょめし)

 

なんて・・・。

 

また私は

そんなミノリの状況を

全く気付いてあげられていませんでした。

 

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┝07.中学入学/母の発病 残った傷と変化のはじまり

小学校卒業、待望の中学・・・のはずが

  • 卒業式とその現実
  • ミノリの春と母の闘い
  • 強がる笑顔がもたらしたもの
  • ミノリの変化

 変われるチャンス

無事に中学受験を終えたミノリは

次の日から

また学校へ登校し始めました。

 

【学級崩壊】

変わらず続いていましたが

 受験に合格したことで

 

中学からはもう今の学校の生徒とは

会わなくても良くなる

 

という安心感はミノリにとって 

相当大きな心の支えとなっていたようです。

 

どんなかたちであれ

 

変わることができる

 

ということを

想像できるようなチャンスをあげることは

今つらい思いをしている子ども達に

まず必要なことだと思います。

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